これは2011年夏、世界一周中に書いた日記をもとに再構成した記録だ。
檻の中の住人へ
今、私は窮屈な檻(おり)の中で何を食い
何に怯えている?
管理され埋め尽くされたタスク
上司の顔色
住宅ローンという名の、一生外れない足枷(かせ)。
それを「幸福」と呼ぶことに
どれだけの意味がある?
2011年夏。
私は、シルクロードの拠点・カシュガルの熱狂を背にして
敦煌へ向かう地獄の寝台列車の中にいた。
あれは単なる移動の苦労話ではない。
不条理な環境の中で、自分の脳内だけは支配させない。
自分の尊厳と意志を、いかにして死守するか——
生存のための、戦術訓練だったのだ。

清潔さや平穏を求めて立ち止まる奴は
自由には到達できない。
あなたが今、その檻の中で死守している「安定」は
本当にあなたが望んだものなのか?
👉前記事:カシュガルでの記録はこちら
ぼったくりタクシーと地獄の始まり
敦煌への作戦は、喀什(カシュガル)駅へ向かうタクシーの中から
既に始まっていた。
ドライバーは遠回りした挙句、あからさまな高額をふっかけてくる。
カシュガルでの平和な空気など微塵もない。
テンションは急降下だ。
駅構内にたどり着き、私はまず
中国の鉄道という名の「鉄のヒエラルキー(階級構造)」の存在を思い知る。
| 種別 | 通称 | 実態 |
|---|---|---|
| 硬座 | インズオ | リクライニングなし。長距離は苦行 |
| 軟座 | ルアンズオ | リクライニングあり。まだ人間扱い |
| 硬臥 | インウォ | 6人1コンパートメントの硬いベッド |
| 軟臥 | ルアンウォ | 4人1コンパートメント。別世界 |
今回の作戦はこうだ。

まず南疆線でカシュガルからトルファンまで約22時間。
終点で8時間の乗り継ぎ待ち。
その後、蘭州線に乗り換えてトルファンから柳園まで約10時間。
座席はカシュガル〜トルファンが「新空調硬座」
トルファン〜柳園が「硬臥」。
トータル移動時間、約40時間。
出発前夜
カシュガルでお世話になった中国人landyからメールが届いていた。
「電車内は敵だらけ、とにかく荷物を守れ」
その警告を読みながら、明け方からの腹痛と格闘する。
腹を下した状態で22時間の硬座、か。
笑えない冗談だ。
せめてもの抵抗に、希望を託してチケット窓口へ走る。
「座席を硬座から硬臥(寝台)に変えられないか」
と食い下がったが
職員は無機質な表情で門前払い。
この瞬間、22時間の修行が確定した。
定員無視の戦場へ
車両の扉を開けた瞬間、目を疑った。
通路も階段も、人間という名の障害物で埋め尽くされている。
外で待っていた相方に、私はこれしか言えなかった。
「…とりあえず、やばいよ。」
指定席にたどり着けば、すでに知らない女の子が当たり前のように座っていた。
私の席のお兄さんはすんなり動いてくれたが
相方の席の女の子は頑固で、なかなかどかない。
周囲の白い目に耐えながら
なんとか二人並んで座れる態勢を確保した。

走り出した車内の冷房はがんがんに効いている。
凍えるような冷気の中で
周囲の現地人はひまわりの種をリスのようにかじり続けていた。
暇でやることがないから食う。ひたすら食う。

気づけば私も
昨日マーケットで買ったレーズンを無意識に咀嚼し続けた。
人間、極限状態になると口が動く。
単純な生存活動だ。
突撃、隣の知らない人
ウイグル人兄妹との出会い
私の目の前に座っていたのは、ウイグル人の兄妹3人だった。

19歳の兄はウルムチの大学に通っていて英語が少し話せる。
時計、ウォークマン、洋服——
持ち物からして裕福な家庭の子だとわかった。
「日本語を教えて」と問われ
紙にローマ字を書き込んで日本語を教える。
彼らの吸収力は凄まじい。
そして、私が持っていた100円玉と50円玉を見せた瞬間
彼らはまるで聖なる遺物を発見したかのように目を輝かせた。
お兄さんは子どものように大きな声ではしゃぎ
近くの知らないおじさんにまで自慢しに行く。
硬貨一枚でこれほど興奮するとは。
国境を超えた、小さな奇跡のような時間が流れていた。
ニヤニヤおっさんの粘着戦
しかし、平和は長く続かない。
いつの間にか隣に座った見知らぬおっさんが
唐突に絡んできた。
「その日本円を俺の10元と交換しろ」
断っても無駄だ。
ニヤニヤと卑しい笑みを浮かべたまま引き下がらない。
あまつさえ
私の膝の上にある荷物を執拗に凝視してくる。
「バッグの中に(札を)隠してるんだろ?見せろよ」

お前、隙を見せるな。
この車両では、そのバッグが命綱だ。死守しろ。
この粘着質なおっさんの攻撃に辟易していた時
近くにいた別のおじさんが一喝してくれた。
「おい、しつこいぞ」
気がつけば私は
興味津々な野次馬たちに完全に包囲されていた。
時計は夜中の12時を回っている。それでも誰も眠ろうとしない。

不思議なことに、彼らはこれだけ密集しているのに
お互いに平気で肩を預けて寝ている。
血縁関係など皆無の他人同士だ。
この過酷な鉄の箱に乗り込めば、誰もが運命共同体。
血縁など関係ない、カオスで妙に温かい
「人類みなファミリー」の掟が、ここには存在していた。
線路の肥やしになーれ
夜中、トイレに立った。
しかし辿り着くまでの道が険しい。
通路に人が平然と寝ている。
新聞紙を敷いて寝ている人がいる。
階段にも座り込んで眠っている人がいる。
そろりそろりと歩いて横を見ると——
洗面台の上に、おばちゃんが寝ていた。

トイレはぼっとん式。
便器の穴の向こうに
線路が容赦なく過ぎ去っていくのが見える。
最近、お腹の調子がずっと悪い。
「線路の肥やしになーれ✨」
そう祈りながら、私は潔く用を足した。
これもまた、カシュガルから続く旅の洗礼だ。
33°Cの天国
直角の椅子に座ったまま22時間。
目が覚めると足がパンパンに膨れ上がっていた。
ストレッチしようとしたが、それさえも痛くてままならない。
エコノミークラス症候群の入り口だ。
ムサージャン達と別れ、トルファンで下車。
時刻は昼の12時前。クタクタだった。
次の柳園行きの列車は19:42発。
約8時間の乗り継ぎ待ちでたまたま目に飛び込んだ青年旅舎。
3人部屋。
気温33℃。
扇風機のみ。

ボロ宿だったが、あの瞬間の私には天国に等しかった。
横になれる、それだけで十分だった。
オーナーのおじさんは優しくて
誰も使っていない部屋を用意してくれた。
カップラーメンを食べて、すぐに眠りについた。
感覚が完全に麻痺している——
いや、これが戦地における「正常」なのだと、この時初めて理解した。
夜6時に目覚め、シャワーを浴びて再び出陣。
今度の席種は「硬臥」だ。
乗り込むと、近くのおっちゃんたちが重たいザックを
荷物棚に上げてくれた。


チケットを乗務員に渡すとカードと交換される。
到着前に起こしてくれるシステムだ。

ベッドは硬い。
それでも昨日の硬座に比べれば、ここは天国だった。
知らないうちに眠りについた。

柳園の暗闇、そして勝利の報酬
朝の4時40分、乗務員に叩かれて起こされた。謝謝。
5時20分、柳園駅に降り立つ。周りはまだ真っ暗だ。
柳園駅前には、旅人への「洗礼」が待っていた。
改札を出た瞬間、大勢の運転手に包囲される。
「敦煌!敦煌!(ドゥンファン!ドゥンファン!)」
怒号のような呼び込みが四方から飛んでくる。
選ぶ余裕などない。飲み込まれるのだ。
2011年当時、廃車アプリなど存在しない。
スマホ決済もない。
交渉の武器は、行き先を書いた紙と、覚えたての中国語の数字と、度胸だけだ。
他の旅行者を見つけて相乗り(拼车・ピンチョー)できれば御の字。
できなければ一人で戦う。
カシュガルで「柳園から敦煌市街までは20〜25元が相場」と聞いていた。
頑張って値切ったが、向こうはすでに2人客を捕まえていて強気だった。
結局30元/人。負けた。
余談だが、柳園〜敦煌間の乗合バスの相場は30〜35元、貸切タクシーなら150元以上。
東京から富士山ほどの距離を390円で移動できたなら——
これは負けではなく、勝ち確定だ。
シェアタクシーに乗り込み、窓の外に赤茶けた砂漠が広がる。
「本当に着くのか」という不安と
「まあ着くだろう」という根拠のない信頼が
奇妙に共存していた。
あの混沌は、今はもうない。
旅が「検索して、予約して、評価する」ものになった時代に
あの洗礼を知っている人間がどれだけいるだろうか。

疲れたか?移動が終われば、そこはもう次の戦場だ。
心して進め。
敦煌に着いた。
22時間の硬座。
8時間の乗り継ぎ待ち。
10時間の硬臥。
そして夜明け前のタクシー移動。
すべてを強行突破した。
移動を完遂しただけで、これは大勝利だ。
広大なシルクロードの先、敦煌で私たちを待ち受けているものは何なのか。
後編、敦煌3daysへ——進軍を開始する。

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