【敦煌①】市街地編|腸内戦争の3日間

【旅】

これは2011年夏、世界一周中に書いた日記をもとに再構成した記録だ。


檻の中の住人へ

今の私はどうだ。

少しの不調で足を止め
万全を待ってから動こうとしていないか?

あの頃の私には、万全など一度も訪れなかった。

前回の寝台列車での死闘を経て
私はようやくこの地に降り立った。
👉40時間の監獄。ウイグルから敦煌へ繋ぐ、寝台列車の攻防戦

柳園から敦煌へ|砂と腸の洗礼

40時間の大移動を経て、柳園駅に到着。ここからはタクシーで敦煌市街へ。

早朝、柳園駅に降り立った。
2011年当時、敦煌への主要な玄関口はここ柳園駅だった。

ここからゴビ砂漠を130キロ突っ切るしかない。
駅前に並ぶタクシーのヘッドライト。
乾いた土の匂い。
運転手との値段交渉、決裂して、また交渉する。

ようやく乗り込んだタクシーが砂漠を時速100キロで走る。
窓の外は完全な闇だ。
エンジン音と、砂を跳ねる音だけが続く。

夜明け前、地平線が赤く光り始めた。
漆黒が群青に変わり、砂漠が燃え始める。

40時間の移動。
睡眠不足。
カシュガルで口にした得体の知れない何か。
ついに腸の中で何かが限界を超えている予感がした。

街が見えた頃には、景色を見る余裕はない。
視界にあるのはただ一つ。
早くトイレへ、ただそれだけだった。

禁食という名の修行

砂漠入り口のユースホステル。西洋からの旅人も。

「食べれば、出る」

分かっていても止められなかった。
香辛料の匂いが鼻を突く。
砂漠の熱気は食欲に容赦がない。

中国でメジャーなカップラーメン「今麦郎」食べるものがない時のお助けアイテム。

宿に到着早々、カップラーメンに喰らいつき
その後日本から持ってきていた正露丸を倍量飲んだ。
吐き気はない、大丈夫だ。

すぐに行ける病院はない。
頼れるのは我が免疫と、気合いと、黒い玉薬だけだ。

結局その夜、禁食を決めた。
食べなければ出ない、単純な話だ。
翌朝、空腹で目が覚めた。
トマトと卵のサンドイッチを一口食べた。
それだけで細胞が動き出した気がする。

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自分の体すら管理できない奴が、自由を語るな。
メンテナンス不足の兵器は、ただの鉄屑だ。 腹を括れ。
垂れ流しながらでも、前へ進め。

莫高窟|734の石窟と「チャイ」作戦

莫高窟は、5世紀から14世紀にわたって造営された仏教石窟群だ。

莫高窟・九層楼。2011年夏、敦煌。中には入れても、シャッターは切れなかった。

世界遺産であり、シルクロードの文化が凝縮された場所とされている。
734もの石窟に壁画と仏像が残る。

629年、玄奘三蔵がインドへ密出国した際に通った国境の地でもある。
壁画の中には孫悟空のモデルとなった猿のような姿まで描かれているという。

「アーガ(2枚)」作戦

市街地から「莫高窟!」と叫ぶミニバスに飛び乗り
砂漠の一本道を30分。
それだけで到着できた時代だ。

中国人は160元、外国人は180元でガイド付き。
その差20元をケチるため
受付の窓口で一言、「アーガ(2つ)」

それだけだ。

中国語で「2枚」と言っただけで
あっさり中国人価格のチケットを手に入れた。
私はたぶんコリアンと言われるから、と彼女に任せた作戦だった。
私は腹痛を忘れて笑った。

石窟の中へ

内部は撮影禁止だ。
当時の写真がない分、記憶だけが頼りだが
暑さでその記憶も溶けた。

ガイドなし。
ボロボロのガイドブック一冊だけ持って石窟を回る。
最初は感動した。30個目で麻痺した。
40度の熱気の中、思考が止まる。
仏像たちが嘲笑っているようだった。
「準備してから来い」と。

2014年から完全予約制・デジタル展示センター経由のシャトルバスシステムに変わり、今は直接入り口へ行けない。
私が行った3年後だ。
あのミニバスで砂埃の一本道を飛ばした気軽さは、もうない。

ラクダも信号を守る時代

道端でラクダとバイクが並走していた。誰も気にしていない。
それが2011年の敦煌。

まるでラクダがワンちゃんのようだ、敦煌の砂漠、2011年夏。

今の敦煌・鳴沙山(めいさざん)には
世界初の「ラクダ専用信号機」があるそうだ。

観光客の急増でラクダが1日2,000頭以上行き交うようになり
2021年に華々しくデビュー、設置された。

赤になればラクダが止まり、緑になればラクダが進む。
今ではちょっとした「映えスポット」となっているようだ。

餃子がない中華料理屋

街に戻り、待ちに待ったお楽しみのご飯タイムだ。

腹の下りを考えたら結局冒険はできず
毎度お馴染みの「餃子」を選んだ。
メニューを指を差すが、「メイヨウ(無い)」

別の種類を指す。
「メイヨウ」。
厨房ではコックが暇そうに煙草をふかしている。

結局、得体の知れない炒め物を食べ、腹下しは振り出しに戻った。

その夜、ようやく学習して完全絶食。
明日は西安へ向かう列車が待っている。
ここで全滅するわけにはいかない。

締め|それでも私は食らいついた

敦煌の3日間。
仏像も砂漠に沈む夕陽も良かったが
とにかく腹が下った。

一日ごとに生存を確認する。
一食ごとに覚悟を決める。
ボロボロでも、逃げなかった。

今の私はどうなんだ?

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あの頃の自分に、今の自分は胸を張れるか。
内臓を垂れ流しながら砂漠を歩いた女が、 お前の中にまだいるか。

旅を共にした「盾」|GREGORY 60ℓ

私の背中には、常にグレゴリーの60ℓバックパックがあった。

「バックパックの王様」

と称されるその堅牢な造りは
大陸の過酷な移動、砂埃、そして無造作に放り込まれるバスの荷台からも
私の荷物を死守してくれた。

身長に見合わないその巨大な塊を背負うたび
私は自分が「家」を背負って歩く亀のような
あるいは何者にも依存しない独立国家のような感覚を覚えた。

学生に間違われるほど小さな私が
この重みに耐えて歩き続けたこと。

それが、今の私の根底にある「生存能力」の証明だ。

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お前は何を背負って生きている?
誰かに用意された軽いカバンか?
それとも、自分の人生をすべて詰め込んだ、肩に食い込むほどの重い盾か。
グレゴリーが私の背中を守ったように
お前もまた、自分を支える「本物の武器」を選べ。

✈️この旅が、私の自由への原点だ。

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