日々の中で、私たちは「当たり前」の幸せを忘れてしまうことがあります。
何気なく過ごす毎日の中で、当たり前だと思っていた瞬間や、小さな幸せに気づかず
忙しさに追われているうちに、それがどれほど貴重で大切なものだったのかを忘れてしまうのです。
ふと立ち止まって思い返してみると、それがいかに大きな宝物だったのかに気づくことがあるのです。
「当たり前の幸せ」に気づいた瞬間
子どもたちと過ごす時間、何気ない会話や寝顔。
普段はその一瞬一瞬を、当たり前だと・・・当たり前だとさえも思えないくらい忙しくて
もっと違うことに目を向けてしまいがちです。
でも私は、ある出来事をきっかけに
その当たり前の時間がどれほど貴重で愛おしいものであったかに気づきました。
今、この瞬間がどれだけ素晴らしいものか
改めて感じることが出来るようになったのです。
失って見えてきたこと
人は、失って初めて、その価値に気づくものです。
しかし、失ってからでは遅いんですよね。失ったものはもう、二度と帰ってこないから。
もう、二度と抱きしめることは出来ないから。
悲しみの出来事があってからしばらくは、子どもたちを外に出すことも怖くなり
もし事故に遭ったらどうしよう
もしこの「いってらっしゃい」が最後になったらどうしよう
そんな怯える日々を送っていました。(今はそんなことないですよ、もうだいぶ慣れました)
ニュースで子どもが亡くなるたびに、心が締め付けられます。
「またひとつ、死別に苦しむ遺族が増えてしまった」のだと。
私たちが経験した痛みは、他の誰かにとっても現実なのだと思うと
その苦しみを共感せずにはいられません。
痛みが重なる度に、改めて「今この瞬間」を大切にしなければならないと振り返るのです。
生きてるだけで満点
今、私はその「当たり前の幸せ=生きること」に感謝の気持ちを忘れないように
過ごしています。
日々忙しくしていても、家族と過ごす時間や、何気ない瞬間を大切にすることを意識しています。
・・・とはいえ、これは理想で現実は・・・なのですが。
なるべく、極力、この気持ちを根底に忘れないように心がけています。
過剰な不安や怖れに支配されることなく
今この瞬間をしっかりと感じて生きていきたいと思っています。
メッセージ
親として、日々忙しい中で、つい「当たり前」に見えてしまうことがあるかもしれません。
でも、立ち止まってその一瞬に目を向けてみてください。
あなたの「当たり前の幸せ」が、
実はどれほど素晴らしいものか、きっと再確認できる瞬間があるはずです。
アメリカの作家・ジャーナリストであるラルフ・ワルド・エマーソンの言葉
「あなたが無駄に過ごした今日という日は、あの人が生きたかった明日である。」
これが頭をよぎりました。
これに習って言ってみれば
「あなたが見過ごした当たり前の幸せは、誰かが手に入れたくても手に入れられない大切な瞬間だ。」
忙しさで、なんだか子どもたちに優しくなれないときは
ぜひ、この言葉を思い出してみてください。
「今日も生きてくれてありがとう」と、呟いてみてください。
明日、少しだけ、優しくなれるかもしれません。
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