【空にかかるはしご】お空のあの子と生きていく、静かな決意

心をととのえる
子どもとの死別という、耐えがたい出来事

「子どもを亡くす」という経験は
人生の中で最も大きなストレス体験のひとつだといわれています。

自分より先に我が子を見送るという
“自然の流れに反する出来ごと”は、
心にも、身体にも、深い影響を残します。

悲しみは時間とともにやわらぐこともあれば
ある日ふと、あの頃の痛みがそのまま蘇ることがあります。
日常の中で笑えるようになっても
その笑顔の奥に
決して消えない痛みを抱えながら生きている人が
実はたくさんいます。
みんな、言わないだけ、言えないだけ。

そして、私もそのうちの1人。
日常は待ってはくれないから
夫や子ども達と何気ない毎日を過ごしていますが…

家族が1人いなくなった喪失感や
二度と戻ってはこない命の無念さ
これらは、時や場所を選ばずに不意に襲ってくるのです。

3歳11ヶ月という短すぎる生涯

私が愛するあの子は
重度の障がいがあり
食事や移動、着替えといったすべての日常生活行動が
誰かの助けなしには生きていかれない子でした。

さかのぼれば、生まれた日の翌日に判明した脳室内出血。
小さい体で入院、手術といった試練をよく乗り越えてくれました。

退院後も、見た目は普通の赤ちゃんでしたが
脳性麻痺となって日常生活を送ることとなりました。

でもね、いろんな方達が支えてくれたおかげで
保育園に行き、お友だちと過ごすことができました。
彼を支える多くの方々に可愛がってもらっていました。

おしゃべりが出来ない分
目線や表情、声色で表現してくれていたように思います。

あの子を囲むみんなが、そのことをちゃんと分かってくれていて
「今日はとてもごきげんでしたよ」とか
「すごく眠そうだけどお腹はすいてたみたい」とか
ママである私にたくさん報告してくれました。

突然のお別れに
誰もが信じられなかったけど。

こんなことってあるんだなぁって
今でも思う、私の正直な思いです。

どうしてあの子だったんだろうか。
これからあの子のために
やってあげたいことがたくさんあったのに。

叶わなかった。

二度とあの子を抱っこできない現実が
残酷すぎるんです。

消えない悲しみの中で、「ひとりじゃない」と感じた一冊

人は「消化しきれない思い」を抱えたとき
理屈ではなく
自分と似た痛みを知る”誰か”を探すものだと思います。

この本はそんな心に静かに寄り添ってくれる一冊でした。

たとえば悲しみを言葉にできなくても
「わかってくれる」存在や
自分と同じような経験をした人の言葉を読むことで、
自分の気持ちを一つずつ
再確認していくことがあると思います。

グリーフケアに関する本は数多くありますが、
「子どもとの死別」に焦点をあてて書かれたものは
あまり多くないように思いました。

「るかちゃんといっしょにおでかけ」

車のいつもの席に乗って、一緒におでかけ。
今はそうしていたいから。
るかちゃんの温もり、今も覚えている。
ここにあった、るかちゃんの身体。

―――『空にかかるはしご』濵田裕子/九州大学出版会

このページを見て
「うちと一緒だ〜!」と感動さえ覚えました。

私も、ちょっとした買い物などは
あの子をお家に置いていくことが多くなりましたが
1日家を空けるようなお出かけの時は
小さな骨壺を助手席に乗せ
シートベルトを装着して一緒に出発します。

あの時と一緒。
「しゅっぱーーーーつ!!」と言って
あの子の手を握ってレッツゴーしたときのあの時と同じように。

姿形が見えなくなってしまった現実から少し目を背け
今もここにいるんだと、自分に暗示をかける。

そうすると、悲しみの角が取れて
少しずつ丸くなっていく。
心のなかで
あの子と”いま”を一緒に生きているような気がする。

この本は
悲しみを癒やす本ではなく
悲しみと一緒に生きるための
あの子を感じて生きるための一冊でした。

同じ空の下で生きる
これを読んでくださっているあなたが
大切なあの子への”空にかかるはしご”を見つけながら
生きていけますように。

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