【生きているだけでいい】あの頃の私と同じ瞬間を迎えているあなたへ

心をととのえる
孤独

あの頃
まだあの子がお空に行ってから間もない頃

沢山の人が優しい言葉掛けをしてくれる反面
どこか孤独を感じずにはいられませんでした。

夫はもちろん、そばにいてくれたけど
それでも、彼には彼の悲しみがあって
お互いに気をつかい合うように
本当の気持ちを全部は言えませんでした。

一方、子ども達には
母の後ろ向きな姿を
とても見せられませんでした。

もともと、弱みを見せるのが苦手な性格です。
あまり感情をあらわにすることもできなくて
「大丈夫?」と聞かれたら、
反射的に「大丈夫」と答えてしまう。

そして
子ども達には子ども達の、それぞれの人生があり
弟の死を「悲しい思い出」としてだけ
記憶に残してほしくないと
強く思っていました。

子ども達とあの子の話をするときは
一緒に生きた時間をできるだけ、明るく
“楽しい思い出”として楽しく語りたかったのです。

だからわたしは、自然と
孤独や悲しみの感情を
“ひとりで抱える”ようになっていったのだと思います。

共感できる言葉を探す

あの頃のわたしは、誰かに
“わかってほしい”とは思っていませんでした。

だって、この気持ちは
同じ経験をした人にしかわからないと
どこかで悟っていたから。
経験したことのない人には
想像でしかものが言えないと思ったから。

気安く言えないですよね
「辛いよね、わかるよ」なんて。

だからこそ、探しました。
同じ痛みや孤独を抱えた人を。

夜、家族が眠ったあと、
スマホを握りしめて検索していました。
「死別 子ども 母親」――
そんな言葉を何度も。

誰かが静かに綴ったブログ
ひっとりと呟かれたSNSの投稿
本の片隅にある体験談…

心に響いてくるのは
励ましの言葉ではなく

「もう立ち直れない…」
「どうして私だけ?」

そんな、到底受け止められない現実に
つぶされている苦しみの声でした。

そこには
それでも今を生きなければいけない
人の姿。

未来の自分さえ想像もできなくなっていましたから
少し先を歩いている人の言葉に
手を伸ばすようにして、読み続けました。

泣きながら
どこかで「この人も今、同じ苦しみを抱えて生きている」と感じて――――

同じ空の下で

今まさに
あの頃のわたしと同じ瞬間を生きている人が
きっとどこかにいる。

それは”たぶん”じゃなくて、”絶対”。

予期せぬ喪失は
本当はとても身近にあって
誰のもとにも突然やってくる可能性があるから。

我が家もそうでした。
誰も、昨日まで予想していなかった。

昨日までの当たり前が
翌朝には一瞬で崩れるなんて
誰が想像できたでしょうか。

だから、あの頃の私と同じように
今も孤独に、静かに涙を流している人が
どこかにいる。

きっと、その人も今日を
どうにか生きている。

私は知っています。

あなたが孤独に苦しみ
涙で前が見えなくて
眠れぬ夜を過ごしたことも
呼吸するのさえ苦しかった朝も―――

ちゃんとわかってる。

そして
それでも生きているあなたを
心から尊いと思います。

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